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煮詰まったお鍋

 「あははっ、まいったなぁ」って感じで笑ってしまいました。
 ちょっと前までふさぎ込んでいたんですよね。

 あのですねぇ、私がリンクさせていただいているotoshimonoさんのブログなんですけど、
 もとはと言えば、私ともう一人のお友達とで、otoshimonoさんを誘ってブログを始めようってことになったんですよ。
 でも、蓋を開けてみたら、もうひとりの子はまだ白紙の頁だし、私にしても1カ月に1つ記事をあげていればいいほうで、「一緒にはじめましょうよ」って言った意味が全くありません。

 それで先日のotoshimonoさんのブログなんですけど、あの蝶って私のことですよね?
 私、よく笑うんです。ほほえむのではなく「笑う」んです。
 それってね、楽なんですよ。
 真剣な顔をするのも、怒るのも、心配するのも疲れちゃうし、どうしたって、それらは全部、嘘なんです。
 誰かの気持ちなんてわかるはずはないんです。それをはぐらかそうとして、わかったような、聞き上手な素振りで、その時間をやり過ごそうとしているんです。
 つまりは穏やかなふりをしてるだけです。
 作り笑顔です、私のは。ほほえみではありません。
 ほほえみというのは自然に零れ出る笑顔なんです。
 ささやかな幸せを感じた時に、無意識に表情に現れるものなんです。
 つくり笑顔はできても、つくりほほえみはできないのです。
 ほほえみにいくら私が似せてみせても、苦笑いにしかならないのです。
 だから、いつも誰にでもわかるようにニコニコとしているだけです。

 そんなふうに知った顔して飛んでいるから、目の前に手を広げている落とし穴も見えずにひっかかるんです。
 たった一本の糸にかかって解くこともできずにジタバタと羽を見苦しく動かして、自力で外す力なんて初めからないのに、自業自得といえばそれまでのことです。

 私、どうしていいのかわからなくなっていたんです。
 自分のことが嫌いで、話すことも、動くことも怖くなり始めていたんです。
 「誰もわかってくれない」って言うのは極めつけの思い上がりだって、薄っぺらな表面ではわかった顔をして
 それでいて固まっている自分の可哀そうさに自分を浸して、その自己陶酔しているみっともない姿を認めたくなくて、自分でなんとかするんだって根拠のない意地を張っていただけなんです。

 自力でできない、という事実を正直に受け止めるだけでいいんですよね。
 他人のことはわからないし、自分を理解してもらうこともできない、期待するだけ無駄だとあきらめたふりをするのは、傲慢で、脆弱で、救いがない自己中毒なんです。
 助けて!って言える勇気を持たないといけないんですよね。そして、助けてって言ってきた人の勇気を受け止めてあげないといけないんですよね。それだけで良かったんです。何の力はなくても。

 それで昨日、otoshimonoさんにお会いした時に「あれって私のことですか?」って訊いてみたら、「たまたまああいうことがあったんですよ」って笑うだけで、私はそれにつられて「まいったなぁ」って心のなかで笑ったつもりが声にでてしまって、気づいたら目に涙があふれそうになっていました。でも泣かないように我慢して、零れないで良かったと胸をなでおろしています。

 蝶のお話は、結尾までそろえてくれたんですよね?otoshimonoさん?

 立ち話のひと時でしたが、別れ際に「煮詰まってしまったお鍋は自分では水を差せないでしょう?誰かに差してもらわないと。だから自然と焦げた匂いをだしたり、音を変えたりして救いを求めているんじゃないかなって僕は思うんですよ」って。
 
 私、煮詰まったお鍋に映っていたんですね、たぶん。
 そして、やっぱり「まいったなぁ」って笑ってしまうんです。 
 




 
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