スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

迷い雪

「あっ。」
「うん?どうしたの?」
「ほら、雪が…。
 こんなに星が出ているのに雪が降ってる。」
 掌を差し出してそのひとひらを受け止める仕種をする。
「気づかなかったね。迷い雪だね。
 晴天の昼間なら風花と呼んでもいいのかもしれないけど。」
 私は雪の降る源を見上げながら、もう別のことを考えている。
「ねえ、あの星のひとつひとつに、全部に名前がついてるって知っている人はどれだけいるのかなぁ?」
「突然、星の話?」
「それが名前とは呼べない記号であっても認識を生み出すものにはちがいないよね?」
「元来、名前と記号とはそう違わないよ。愛着と客観性だけがそれが差別化しているのだから。」
「ねえ、この星空は私達が高校生の時に見ていた空とちがうのかなぁ?
 あの時、今から10年後になにやってるかな?って思っていた。
 その10年後の世界に私達は、今、いるのよね。」
「あの時の未来がこの現実だね。なにか笑うしかない空しさがあるね。」
「ここに来るまでにいくつの選択肢を選んできたんだろう?それはきっと自分できめてきたことなんだろうけど、そのいくつに私は責任をかんじているのかな。」
「今日は変だよ?急に難しいことを言い出すなんて。」
「そう、可笑しいよね。いえ、奇怪しいのかも。
 きっと日常生活での不要なレジストリが溜まりきってクリーンアップしきれずに、今は脳内バグが発生しているの。処理し切れていないのよ。」
「なるほど。そういうこともあるかもね。人間は電気であり、波長でしかないから。」

 見上げている空にはオリオンが掛かり、その三ツ星のあたりを黒い鳥達の影がかすめていった。
 そういえばベテルギウスが消滅するって誰かが言ってたね。
 もう爆発してなくなっているって言っている人もいるらしい。
 星の光はどうやって消えるのだろう。
 豆電球が切れる時みたいに一瞬、ぱっと光るのかしら?
 それとも電気のスイッチを切るみたいに突然、遮断されたような暗さが訪れるのかしら?
 いずれにしても640年後のこと。
 もし、私がそのときに生きていても、私はそれに気づかないかもしれない。
 今日のオリオンはちょっと欠けてみえるなぁって。
 私って馬鹿だから欠けていることにさえ気づかないかもしれない。
 見えないこと。
 そして、それが当たり前になって。
 かつて、そこに星があったことも忘れてしまうかもしれない。
 冬空の数少ない脈動型半規則変光星で、肉眼でそれを観察できたことも。
 ベテルギウスって名前だったことも。

 640年後。

 …今日はベテルギウスが消失する日です。世紀の天体ショーを観測するには絶好の観測日和となりそうです。
 北日本の一部では雲がかかることもありますが、それ以外の地域はおおむね晴れるでしょう。北から大陸の寒気団が降りて来ており、太平洋側で発達した低気圧の関係で夜から明け方にかけては非常に寒くなります。天体観測をするにあったっては風邪などひかないよう充分にお気をつけください。当NHKでは月面放送局のネットを経由して、ベテルギウス消滅を24時間に渡って観測しております。その消滅の瞬間はリアルタイムのニュースでもお送りいたします。また、後日、この640年間の光の軌跡を火星ファボス自然科学大学のベクトル・アチラムッキー博士を解説員としてお迎えして、特別番組の編成も予定しております。皆様、どうかお楽しみにしてお待ちください。それでは各地の天気を…。

 けれど私はその時間、たぶん紅茶とポテトチップスと数枚のビスケットを並べながら、アニメを見ていて、その瞬間のことを完全に忘れてしまう。
 
 私には先週の話の続きのほうが大切で、夜寒の中、空をみあげて感慨にふけるほどロマンがない。

 私の中にあるイマジネーションはロマンではなく、単なる妄想と誇大化された現実にしかすぎないので。

 まぁ、いいや、あとで特番か、ニュースで見ておこう。

 明日も仕事だし、風邪もひきたくないので、お風呂に入って寝ましょう。
 
 こうして役にも立たないレジストリが蓄積していくのです。



スポンサーサイト

テーマ : ひとりごと。
ジャンル : 日記

できない、ということ

私はお裁縫がにがてです。
お料理もそう得意なほうではありません。
自分では「けっこういけてる」と思ってるのに
姉や兄は「これって何?」と変な顔をします。

自転車も下手です。
坂道を下るときに減速をするのがうまくいかず、
何度も転びました。
だから、今は危ないので乗りません。
私が、ではなく、
周りの人にあぶないから。

自動車の運転免許ももっていません。
もちろん、オートバイやスクーターなんかも運転したことはありません。

こればかりではなく、数え始めたら思い浮かばないことも含めて
私には、できないことだらけです。

でも、これは「できないこと」ではなくて
「やらないこと」なんですよね。

私は「やらないことだらけ」なんです。

だから喜びが少ない。

「できないことだらけ」は「喜びの宝庫」です。

できないこと、を悪者扱いにしてしまうのは
できることが常識だと錯覚している受け止め方です。
言い換えれば、「できた時の喜び」を心から喜べない人たちの心です。

そして、それが「障害」なのだと、

私は、ついさきほど気づかされました。




テーマ : ひとりごと。
ジャンル : 日記

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。